2014年10月6日月曜日

「老後破産」200万人の衝撃第1部という記事について

現代ビジネスにこんな記事がのっていた、
「老後破産」200万人の衝撃第1部 普通のサラリーマン」だった私は、定年からたった10年で破産した 70過ぎて、食うモノに困るとは……」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40603


それが社会的な構造による問題であれば、老後破産は大きな問題だし、議論、改善していく必要があるだろうと思う。
真面目にきちんと生きてきた普通の家庭が、制度上の闇に飲み込まれ、破産に追い込まれる。それなら議論の対象として納得がいく。
ただ、この記事に関しては特殊な例を引き合いに出しすぎで、読んでいて釈然としないものを感じたので、それらについて思ったことを。

■香川庄治さん(仮名/71歳)のケース

・食品メーカーに38年勤務
・60歳で退職
・退職時の貯金は約3,200万

記事によると、現在貯金が底をついた主要な理由は2つ。

1. 闘病コスト
2. 40代息子が引きこもり

まず、闘病についてだが、妻のガンが発病したのは定年から半年後、そして亡くなったのは6年前とのことなので、闘病生活は約5年半。
がん保険に入っていないために「みるみる3,000万円が6年で目減りしていった」と書かれているが、「病院を転々とし、最新の放射線治療も受けました。それに漢方や健康食品など、身体にいいと聞いたものは何でも試した」とのことなので、これは保険に入っているかどうかはあまり関係がない。
「300万円出して車椅子を乗せられるワゴン車を買い、がんに効くと言われる温泉にも連れて行った」とのことだが、残り2,700万(みるみる3,000万がと書いてあるので、3,000万分を闘病で失ったと仮定)を66ヶ月(5年半)で消費。月約40万9千円必要だったことになる。

保険に入っていない場合でも、高額療養費が制度としてあるので、50万の医療費でも(保険の効く医療であれば)10万円はかからない。
よほど民間療法や保険未適応の先進医療に高額の支払を続けた可能性が高いが、医療費に関するそういった破産は老後に限らず起こりうる。もちろん確率として老後のほうが、医療問題による出費を余儀なくされる可能性は高くなるだろうが、これは構造的な老後破産の問題と直結しているのだろうか?
もしくは、医療制度で高額を支払わなければ治療を続けられないという問題があるとすれば、それは医療問題の話ではないのだろうか。
もう少し、この実施した医療について詳細を述べてほしかった。(勿論、そうすると老後破産から論点がずれるから、そうしなかったのだろうが)

また、引きこもりの問題についてだが、内閣府の調査によると、15~34歳の広義の引きこもりは推定70万人、平成24年度の調査で2.3%。
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h25honpen/b1_04_02.html

引きこもりの子どもを抱えた状態で、親がどう自身の生活を保っていくかというのは、確かになんらかの救済が必要な問題にはなってくるだろう。
これが老後破産のひとつの引き金になり得るというのは理解できるが、むしろこれを一般化すると、老後における他者介護の問題とも捉えられる。
高齢な父母が、中高年の子どもの介護を行わなければならない状態において、どういった保護が出来るか、この部分はもっと深掘りしてもよい気はする。


■小野雅俊さん(仮名/69歳)のケース

・都内建築事務所の正社員を定年まで
・退職時には、退職金を含めて4,000間円程度の資産があった

こちらの生活が困窮した理由は明白

1. 息子の起こした100%加害責任のある交通事故
2. 保険に入っていなかった

こちらは、老後破産となんの関係もなく、あらゆる家庭に起こりうる問題。
だからこそ、自動車保険への加入が勧められる。
保険加入は忘れていた、では済まされない。


また他のケースも、お金の使用を管理出来なかった、もしくは息子の会社が破産した、などある程度自己責任を伴うケースが、あたかも社会問題かのように紹介されている。

「子どもも離れて暮らして」おり、認知症を原因とする「判断力の低下による無駄遣いや保険の使えない鍼治療など」という、周りの助けが少なく、かつ消費が多いという問題。もちろん、これは自分の面倒を見てくれる子どもがおらず、自己判断できなくなった場合はどうするか、という問題はあるが、無駄遣いしたあげく困窮するというのは、社会的問題とは言い難い。誰しも資産は有限である。使いすぎれば困窮するのは致し方ない。最初の香川さんのケースも、無駄遣いとは言えないが、身の丈を越えた医療費の支出は、やはり当然自分に返ってくる部分はあるだろう。

息子の収入を当てにして、高額のローンを組んだ場合、当然そのリスクは事前に認識して、息子が死亡した場合、収入が激減した場合などに備えた準備はする必要は老後問題以前にあるのではないか。

いずれも、対応策がない構造的問題というよりは、ある程度自己責任の部分があり、これを社会問題としてとりあつかうには、いささか過剰に感じる。

むしろ、こういったある程度お金があって(使わざるを得ない理由により支出が増大し)困窮に追いやられたというドラマチックな事象を取り上げてむやみに不安を煽るより、現実に収入問題があり、そのまま貯金もなく老後を迎えてしまった人たちの窮状にこそ老後問題にこそもっと焦点を当てて欲しいと思うのだが。

窮状は、窮状そのものより、窮状に至る過程にこそ、問題が隠されている。
そこを蔑ろにして、徒に恐怖を植え付けるやり方は辞めて欲しいものだ。

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